日本音楽の種目名。
箏は奈良時代に中国から伝来し、雅楽の管絃曲でも演奏するようになった。
これを楽箏とよんでいる。その後、室町時代には雅楽と中国の七絃琴の音楽の影響下に、久留米の善導寺において、賢順が筑紫流箏曲を確立した。
やがてこれらは近世箏曲へとつながっていった。
なお、これらの近世箏曲に使われる箏は、一般に楽箏に対し俗箏とよばれる。
日本音楽の種目名。
箏は奈良時代に中国から伝来し、雅楽の管絃曲でも演奏するようになった。
これを楽箏とよんでいる。その後、室町時代には雅楽と中国の七絃琴の音楽の影響下に、久留米の善導寺において、賢順が筑紫流箏曲を確立した。
やがてこれらは近世箏曲へとつながっていった。
なお、これらの近世箏曲に使われる箏は、一般に楽箏に対し俗箏とよばれる。
完成をみたのに対し、箏の演奏技法の開拓と様式の展開は明治以後も継続され、幕末以来の新しい試みや西洋音楽からの影響のもとに、大阪を中心とする明治新曲が出現した。
菊高検校、菊塚検校、楯山登らの活躍によるものである。その一方では、20世紀初頭、京都で鈴木鼓村が京極流を樹立している。
さらに宮城道雄らの新日本音楽に至って、西洋音楽からの影響はいっそう強くなり、演奏の場を家庭内や座敷からホールなど大会場へと進出させたが、同時に日本的感性の豊かさを維持した。
そして新邦楽から第二次世界大戦後の現代邦楽へとつながってゆき、新しい時代と音楽の流れに適応する動きをみせている。
なお、明治以後は、従来の十三絃箏以外に低音域の充実を図って、宮城道雄が十七絃や八十絃、宮下秀洌が三十絃、野坂恵子が二十絃の箏を開発、使われなくなった八十絃を除いて、それぞれが独自の世界をつくりだしている。